In vivo NMR草創の頃

三森文行

1.大学院生時代

奇しくも1973年にはMRI、MRSの歴史をひらく2報の論文が時を同じくして出版された。一つはPaul Lauterbur博士の投影再構成法によるNMR信号の画像化の論文であり(1)、もう一つはRichard Moon、John Richards博士による31P NMRを用いた赤血球の細胞内pH測定法の論文である(2)。その2年後の1975年に私は理学部化学教室の分析化学研究室の大学院生となった。わが国ではじめて高分解能NMR装置を自作しNMRの研究をすすめていた藤原鎮男教授が指導教官であった。

藤原先生からもらった研究テーマは、医、薬、理学系を横断する文部省特定研究「化学分析による動的病態の解析」のサブテーマで、ペニシリンショックの原因物質解明にかかわるものあったが、生体をそのまま観測する研究に直接つながるものではなかった。しかし、その頃、研究室のコロキウムでは海外における、細胞や生物を丸ごとNMR測定して、その生命過程に関する情報を得ようとするin vivo NMR法の活況がたびたび報告され、新しい研究分野が開かれつつあるという興奮が伝わってきた。

国内においても、京都府立医大の亘弘教授の研究室では西川弘恭さんや吉崎和男さんにより23Naや31P NMRを用いる筋肉や生体膜の研究が始められていた。1976年だったと思うが、藤原先生に付いて京都府立医大の研究室を見せてもらいに行った。NMR測定室に行くと、私たちが使っているのと同型の日本電子製2.35TのNMRが設置されており、実験中の吉崎さんがにこにこと迎えてくれた。また、当時、味の素中央研究所にいらした甲斐荘正恒さんは1976年、77年のNMR討論会において、丸ごとのアオキの種子を測定すると、実のなかにある有機物のきれいな13C NMRスペクトルがとれること、セキセイインコの受精卵から雛が生まれるまでの卵の31P NMRスペクトルの連続測定で1羽の鳥の発生過程が追えることを相次いで発表し(3,4)、NMRコミュニティにおける丸ごとの生体測定の機運は高まった。藤原研でも荒田洋治先生が開発を進めていた相関NMR法を用いて荻野孝史さんが大腸菌懸濁液の1H NMRで有機酸代謝が観測できることを示した(5)。

2.奈良における第8回生体系の磁気共鳴国際会議

一方、私は1978年に大学院博士課程を中途退学して、つくば研究学園都市に1974年に新設された国立公害研究所(現、国立環境研究所)に就職することになった。ここにはBruker社の2.1T多核種NMR分光計(もちろん電磁石)が設置されていた。この装置を用いてin vivo NMRまたはイメージングの研究を始めたいと考えたが、研究所内にはNMRの何たるかを理解する人も少なく、いずれの道を選んでもほとんど独力で研究を始めなければならない状況であった。

この1978年の夏に、藤原先生が主催する第8回生体系の磁気共鳴国際会議が奈良で開催されたのは、これからの研究指針を立てる上で大いに参考になった(図1)。この学会ではFelix Bloch博士の基調講演に続いてイメージングではNottingham大学のRaymond Andrew、Paul Lauturber博士の発表、代謝研究ではOxford大学よりDavid Gadian博士、Pennsylvania大のBritton Chance研に留学されていた中瀬雄三さん(和歌山県立医大)のin vivo 31P NMRの発表などがあった(6)。Andrew博士は磁場勾配を時間変動させるsensitive point法によりヒト胸腔の画像を示し、Lauterbur博士は31P NMRイメージングの可能性を示した。OxfordグループやChance研の31P NMRによる筋エネルギー代謝の研究は私にとってきわめて興味深いものだった。米国Bell研究所の小川誠二博士もミトコンドリアの酸化的リン酸化についての精緻な報告をされた。イメージング法では、日本独自の磁場焦点法を開発した北大応用電気研究所の阿部善右衛門教授のグループの田中邦雄さん、山田芳文さんが関連のポスター発表をされていたが、海外研究者がその前に集まってイメージング法のオリジナリティにかかわる議論が行われていたのも記憶に残っている。

図1. 奈良で開催された第8回生体系磁気共鳴国際会議(8th MRBS, Sep. 11-14, 1978)の全体集合写真。注意深くみると、著名な研究者が多数見分けられます。

3.赤血球の31P NMRと植物の13C NMR

このような状況で、私はラットの赤血球を対象として31P NMRの研究を始めた。在学中には実験動物など触れる機会もなかったので、まず採血して測定試料を準備するのに苦労をした。試料が調製できるようになると、赤血球の31P NMRスペクトルはさほどの苦労なく測定できるようになった(図2)。所内にはNMRについてディスカッションできる相手がいなかったので、ときどき藤原研に出かけて、荒田先生にデータを示し議論してもらった。ディスカッションの相手がいないという状況はその後も長く続いた。

1973年のMoonとRichardsのpH測定法には大きな問題点があった。無機リン(Pi)の化学シフト値のpHタイトレーションから細胞内pHを求める訳であるが、Piの化学シフト値はpHだけでなく、赤血球内のヘモグロビンの酸素化の度合いによって変動するため、原報ではあらかじめ赤血球懸濁液にCOバブリングを行い、デオキシヘモグロビンの常磁性を消去して目的を達していた。しかし、COバブリングを行えば、赤血球が本来示していた細胞内pHは攪乱されてしまうので、細胞内pHを正しく生体情報として得るためには別の方法が必要であった。ヘモグロビンの鉄の磁性はのちに小川誠二博士が脳機能イメージングに利用することになる情報源であるが、当時は取り除くべき邪魔者としか認識されていなかった。私は、この問題をATP γとα残基の化学シフト差を細胞内pHの指標として用いることで解決できることを示し最初の成果を得た。さらに、赤血球内におけるホスホフルクトキナーゼのpH依存的活性変動の研究に進み、結果をJ.Biochem.に発表した(7)。

所内の研究発表会で31P NMRの結果を発表すると、生物環境部の米山忠克さんが接触してきた。米山さんは、東大農芸化学科で13Cや15Nの安定同位体標識を用いた代謝研究を行っていた熊沢研究室の出身で、当時、ヒマワリの葉などに13C 標識したCO2を与え、炭酸同化反応で13Cがさまざまな代謝物に取り込まれる過程の研究を行っていた。試しにこれらの実験植物の切片やセルザップの13C NMRを測定すると糖やアミノ酸のきれいなスペクトルが測定できた。米山さんは程なく農林省の研究所に転出したが、同じ熊沢研出身の伊藤治さんがOhioより帰国、着任し共同研究をすることとなった。赤血球や植物の13C NMRの結果をまとめて1981年11月に東大理学系研究科にNuclear Magnetic Resonance Studies on Biological Inhomogeneous Systemsと題する博士論文を提出した(8)。伊藤さんとは13C標識研究のほか、9.4Tの分析用NMRを入手して後にクロレラ細胞を培養し、光リン酸化反応の研究も一緒に行った(9)。このために石英光ファイバーを用いてNMRプローブ内で光照射するシステムを作製した。

図2.Bruker社2.1T NMR分光計の前で、1979年。

4.Rex Richards博士と小川誠二博士

1981年には、Oxford大学のRex Richards博士が来日し、藤原先生が座長でOxford大学における最新のin vivo NMR研究の成果について東京で講演会が開かれた。ヒト移植腎を手術前に31P NMR測定し、このスペクトルと腎移植の成否の相関を研究するなど、実際の医学応用に一歩踏み込んだ内容は画期的であった。講演の翌日、博士はつくばの公害研究所を訪問され、私はNMR測定室で赤血球の31P NMRの測定結果を示し、懇切な議論をしていただくことができた。NMR室で予定をはるかに上回る1時間ほどを費やし、当時の近藤次郎所長が計画していた所内見学のかなりの部分がキャンセルとなってしまった。Richards博士は、Oxfordのさまざまな学部の生体系のNMR研究者を鳩合してOxford Enzyme Groupを組織し、また、学友と語らってOxfordに超伝導磁石生産の拠点を築いた、いわばOxfordの生物NMRの総帥ともいうべき人物であるが、その率直な言動、研究への熱意には大きな感銘を受けた。Richards博士との出会いは、後にOxfordの生化学研究室に留学する契機となった。

1982年の夏には、奈良であった生体系の磁気共鳴国際会議の第10回大会がStanford大学のOleg Jardetzky教授により開催され、植物の13C NMRのポスターを持って参加した。奈良のあと4年間でin vivo NMRもイメージングも大きく展開していた。大会の始まる前日にBell研からTel Avivに帰国していたGil Navon博士に偶然お会いし、植物代謝研究の可能性についてお話しすることができた。会期中、昼食はキャンパスのカフェテリアで供されたが、昼食の列に並んでいるとき、藤原研の渡部徳子さんに小川誠二さんを紹介してもらった。Stanfordの大会後、米国の主だったin vivo NMR研究室を訪問しようと計画していたので、小川さんにもお願いしてBell研を見せていただくことにした。小川さんと話をしていると同僚のKamil Ugurbil博士が「みんなSeijiのところに行きたがるな」と、ややシニカルな口調でつぶやいた。後にMinnesota大のCMRRでよく話をするようになる頃に比べ、ずっとやせており中東風の風貌であった。この大会の終了翌日には、場所を医学部に移して、医学系のシンポジウムが開かれた。

5.Oxford大学生化学教室

1984年9月にOxfordに行くと、Richards博士の計らいにより、赤血球の代謝研究を行っていたIain Campbell博士と、Clinical Magnetic Resonance Unit (CMR)でヒト用、動物用NMR装置を運用していたGeorge Radda教授の両グループに所属して研究を行うことになった(図3)。Campbell研では大腸菌のATP合成酵素の代謝制御の研究プロジェクトがあり、DeborahReesという大学院生がsaturation transfer測定によりATP生成速度の測定をしようとしていた。

当時の生化学教室は古い木造の建物とコンクリート造の7階建のビルをつないだ不思議な構造であったが、その新館部分の3階に居室スペースをもらった。同室は、Debbieと、ポスドクのKevin Brindle、カナダから来ていたEric Shoubridgeであった。私がもらった机は、サバティカルで研究室にしばらく滞在していたPaul Voyer博士が最近まで使っていたものだとDebbieが教えてくれた。彼女はまた、Voyer博士はATP合成酵素が活性を示すとき、分子のF1部分とFo部分が互いに回転運動をするという仮説を唱えていたと教えてくれた。そのときはこの仮説には半信半疑であったが、1997年に彼はATP合成酵素の反応機構の研究でノーベル化学賞を受賞した。

話が脇にそれたが、大腸菌のATP合成酵素のATP生成速度についてはBell研のShulman研究室で既に測定が行われ、ATP生成速度と酸素消費速度の比(P/O ratio)が90と大きく、この酵素は単方向ではなく、交換反応として作動していると結論されていた(9)。Campbell研では遺伝子改変によりATP合成酵素の発現量を5倍に高めたCM2786株を入手して、ATP合成速度をより詳細に検討しようという訳であった。

横っ腹にBritish Heart Foundationと大書された、縦型ワイドボア4.3T磁石に自作の分光計を接続した装置を用いて測定を行った。たいてい、午前中に培養している大腸菌細胞の試料調製、分光計のセットアップを行い、午後から夜中にかけて測定を行った。現在のように完成度の高い装置ではないので、日によって調子が変わり、ケーブルをつなぎ替えたり、プリアンプの位置を変えたりと、ご機嫌を取りながらの測定であった。このようにして得られた結果は、5倍量のATP合成酵素があるにもかかわらずCM2786株で測定されるPi →ATPγの生成速度は野生株と変わらないというものであった。解糖系の代謝阻害剤で処理するとCM2786株、野生株ともに観測されたPi →ATPγ反応が消失することから、大腸菌においてsaturation transfer法で観測されるPi →ATPγの反応速度はATP合成酵素ではなく、解糖系のGAPDHとPGK部位における交換反応であると結論づけた(10)。この結果は、saturation transfer法を用いたATP生成反応の解釈には注意を要することを示しているが、近年、この警鐘が忘れ去られがちであることは残念である。

Oxfordでの滞在後半は、やはり大学院の学生であったNicholasBolasらとOxford Research Systems社の1.9Tの動物用測定装置TMR-32を用いるラット脳虚血の研究に加わった。South Parks Roadにある生化学の建物を出て西へ歩き、南北に走るBanbury Road、Woodstock Roadを渡った先にあるRadcliffe Infirmaryという付属病院にTMR-32は設置されていた。私が担当したのは1H NMRスペクトルの測定で、1331パルスを用いたスピンエコーシークエンスを組み、虚血脳の乳酸を31P NMRによるATP、Piと同時に測定できるようになった(11)。Nick Bolasは生化学の大学院生であるにもかかわらず、信号検出器やRF増幅器等の作製に堪能であった。日本に帰国してBruker社の動物用装置Biospecを入手したときに、つくばに来てもらい、信号検出器製作の基礎から個人教授をしてもらった。余談であるが、彼は卒業後、David Talorが興したSMIS社に加わったが、同社解散後、大好きな馬の脚専用MRI装置を開発、販売するHallmarq社を起業し、いまも仕事を続けている。

図3.左:1984年当時のOxford大学生化学研究室の正面玄関(いまは、モダンな高層ビルに建て替えられたので、この玄関はもうない)、中:当時の新館6階実験室で学生と議論するIain Campbell, 右:グループのセミナーが行われたCharney BassettマナーハウスにおけるGeorge Radda。

6.9.4T分析用NMR

Oxfordから帰ると、渡英前の1984年に公害研に導入した54mmボア磁石を有する日本電子製9.4T分析用NMR装置を使ってさまざまな動植物の測定を行った。このなかには、九大理学部植物生理学研究室の西村光雄教授との共同研究による光合成細菌の光リン酸化反応の研究(12)や、東大理学部動物学教室の石井直方博士と行ったムール貝の閉殻筋のエネルギー代謝研究などがある(13)。貝類の閉殻筋は、エネルギー消費の小さなcatch収縮と呼ばれる筋収縮を示すことが知られていたが、そのメカニズムはよくわかっていなかった。31P NMRを用いてその機構に迫ろうという訳であった。このために、筋肉を直径10mmのNMR試料管中に保持し、海水を灌流しながら、アセチルコリンを与えて筋収縮を起こし、しかる後5-ヒドロキシトリプタミン灌流により弛緩状態に戻すという灌流システムを構築した。

この頃私はまだ日本磁気共鳴医学会の会員ではなかったが、1987年春に岡崎で開催された第9回大会に亘弘大会長の好意で参加させてもらいラット虚血脳の1H, 31P NMRの結果を発表した。しばらく後に入会し会員となったが、この学会との接点は、これより前、電子技術総合研究所の亀井裕孟さんがつくばの工業技術院共用講堂で開催した第4回大会にも参加させてもらっている。このときも亀井さんから研究発表を勧められたが、当時は植物を対象とした研究ばかりしていたので、さすがに辞退させていただいた。

7.動物用Biospec24/30分光計

In vivo NMRの研究を始めた当初は、細胞懸濁液を用いればあらゆる生命過程を対象にできると考えていたが、細胞懸濁液では生理状態を保持するのは困難なこと、多細胞、多臓器の生物では細胞懸濁液では再現困難な代謝制御があることから、やはり丸ごとの実験動物の測定ができる水平ボア磁石を有する装置が必要であると考えるようになった。分析用NMR装置を用いて丸ごとの実験動物の測定を行うことは、表面コイル検出器を用いれば不可能ではなかったが、動物を水平に保持することができず、生理的な不自然さを避けられないのでトライアル程度の測定しかできなかった。

こんな折り1988年に、公害研に動物用NMR分光計を導入できることになった。おとなりの筑波大学医学部と同時に、Bruker社の30cm水平ボア超伝導磁石を有するBiospec分光計を導入した。ここではじめてイメージング測定にも手を染めたが、やはり主たる興味は代謝解析であった。公害研に入所以来やりたいと考えていた有機水銀中毒ラット脳のイメージング測定と31P NMRの測定を最初に行った(14)。その頃、筑波大学医学系研究科の大学院生の久野晋也さんが研究室に現れ、ラット後肢筋のエネルギー代謝の研究を公害研でやらせてほしいと申し込まれた。いろいろないきさつでこの共同研究は不発になるかと思ったが、しばらく後、彼はラット用トレッドミルで毎日トレーニングしたラットを持って研究所にやってくることとなった。ラット腓腹筋の酸化的リン酸化能力の増大を31P NMRで追跡する研究を行い(14)、無事学位を得た。

彼が研究を始めた頃、指導教官であった筑波大放射線医学教室の秋貞雅祥教授にセミナーでの講演を頼まれて出向くと、一番前の列に座った男性がいろいろ質問を繰り出してきた。巨瀬勝美さんとの初めての出会いであった。久野さんが学位を得る頃には、筑波大放射線医学教室は板井悠二教授に代替わりしており、引き続き大学院生の指導を頼まれた。1990年代は吉岡大さん、女屋博明さん、山口雅之さん、麻酔科の熊谷めぐみさんら若い人たちと研究を楽しむことができた。世紀の変わり目にはヒト用4.7T MRI装置を使った研究をスタートすることになるが、それはまた後の話である。

引用文献

1) Lauterbur, PC: Nature, 242, 190-191(1973).

2) Moon, RB and Richards, JH: J.Biol.Chem., 248, 7276-7278 (1973).

3) 甲斐荘正恒:第15回NMR討論会講演要旨集, pp.108-111 (1976).

4) 甲斐荘正恒, 小西博子, 鰺坂勝美:第16回NMR討論会講演要旨集, pp.249-252(1977).

5) 荻野孝史, 荒田洋治, 藤原鎮男, 祥雲弘文:第16回NMR討論会講演要旨集, pp.241-244(1977).

6) Abstracts of VIIIth International Conference on Magnetic Resonance in Biological Systems (1978).

7) Mitsumori, F: J.Biochem., 97, 1551-1560 (1985).

8) Mitsumori, F: “Nuclear Magnetic Resonance Studies on Biological Inhomogeneous Systems” (1981).

9) Brown, TR, Ugurbil, K, Shulman, RG: Proc.Natl.Acad.Sci. USA,74, 5551-5553 (1977).

10) Mitsumori, F, Rees, D, Brindle, KM, Radda, GK, Campbell, ID: Biochim.Biophys.Acta, 969, 185-193 (1988).

11) Bolas, NM, Rajagopalan, B, Mitsumori, F, Radda, GK: Stroke, 19, 608-614 (1988).

12) Okamura K, Mitsumori F, Ito O, Takamiya K, Nishimura M: Bacteriol. 168, 1142-1146 (1986).

13) Ishii N, Mitsumori F, Takahashi K: J. Musc. Res. Cell Motil., 97, 242-246 (1991).

14) Mitsumori F, Nakano A: Environ.Res., 62, 81-88 (1993).

15) Kuno S, Akisada M, Mitsumori F: Eur. J. Appl. Physiol. 65, 197-201 (1992).