X線CTが世の中に出て,次に,NMRの医学応用が注目されると,当然,東芝の中でも,どのように進めていくかについて,色々な議論が行われたようです.私は,詳しい経緯は存じ上げませんが,井上多門先生によると,自分と物性研の伊藤雄而先生(当時助教授:中性子回折)は,東大駒場のときから同じクラスで,伊藤・井上と,出席番号が一つ違いで仲が良かったので,その伝手で,NMRが専門の安岡弘志先生に紹介してもらい,MRI(当時はNMR-CTと言っていた),共同研究を申し込んだと仰っていました.

 さて,私は,1981年に東芝に入社し(入社の経緯は,私のストーリーに書いてあります),総合研究者配属になったものの,勤務場所は,共同研究先の物性研ということで,井上先生の下で,東芝では約4年間,筑波大に移ってからは,同じ研究グループで約8年間,また,同じ組織の同僚教員として井上先生のご定年まで,お付き合いをさせていただきました(下の図).

筑波大学物理工学系井上多門研究室における同窓会(1992年頃:国際文化会館(六本木))

 

 私が東芝にいたときは,まさに,東芝だけでなく,各社,日本のMRIの立ち上げの真っ最中で,その中で理想的な研究環境を作っていただき,また,ネガティブな干渉を一切されることなく,本当に,気持ちよく働かせていただきました.私が,日本最初のMRI製品開発のグループの一員になることができたのは,特に,井上先生のご配慮と,安岡先生の細やかなお気遣い,そして,優秀で包容力のある佐藤幸三さんという先輩社員のお陰だと思っております.ただ,それだけでは,なかなか,歴史的な仕事をすることは難しく,東芝という組織の中で,医用機器事業部という大きな組織を動かし,しばしば総合研究所の中枢組織とは緊張関係を保ちながら,これだけの業績(世界で初めての商品化)を達成されたのは,井上先生の類まれなお力によるものと思います.井上先生は,2005年に惜しくも亡くなられましたが,東芝におけるMRI立ち上げの「最大の功労者」であると言っても過言ではないと思います.参考のために,MRI開発の初期に,井上先生が執筆された研究会の報告書(放射線像研究)を提示致します(私の入社前の発表です).

文責:巨瀬勝美