MRIの創成期、第二世代

塚元 鉄二

NMRを用いてヒトの体内を撮れるようになったと初めて聞いたのは、大学院のマスターコースに進学するかどうか迷っていた時の1985年頃でした。当時は学部4年生で、当時話題になっていた導電性高分子の物性を、NMRやESRで解明する研究室に所属していました。

マスターコースに進学し、毎晩徹夜でNMRやESRの実験を行っていたところ、当時の恩師(久米潔先生)が、「企業でMRIの開発をしたいのであれば、東芝の総合研究所にいる教え子がMRIの研究開発をしているので会ってみたらどうか?」とおっしゃってくださり、私は面識はありませんでしたが佐藤幸三氏を紹介して頂きました。同じ時期ですが、当時私は三鷹市に住んでおり、横河電機が親の勤務先の近くだったということもあり、横河電機が医療機器の子会社を創立したらしいという話も同時期に聞いていました。

私はマスター修了後は就職するつもりだったので、東京都の教員免許を取得したり、大手電機メーカー訪問など就職の準備をしていたのですが、その一環として当時東京都立川市に合った横河メディカル株式会社に会社見学に訪問させていただくことになりました。実際に訪問してみると、それまで訪問したいくつかの大手企業とは異なり、多くの社員が30歳ぐらいと若く、皆さん気さくで、勤務時間中でも食堂の売店でアイスクリームを食べたり、またそれが当たり前という誰も咎めない雰囲気がとても気に入ってしまい、即座に入社申請をしました。そのような流れで、マスター修了後の1988年4月に入社させていただきました。

大学院を出ていたということもあり、配属は最初から研究開発部門でした。多くの先輩方が親会社の横河電機株式会社から移籍して来られていました。具体的な事案は記しませんが、いわゆるぶっ飛んだ先輩方が大勢いらっしゃり、「世間の常識など知ったことか、研究のためならしたいことをしたいだけやる!」という雰囲気で満ちていました。その後の私の人格形成にも多大な影響があったのではないかと感じております。

研究開発部門に配属されて、当時はまだ完成して数年しか経っていないMR装置の研究開発を担当させてもらうことになりました。横河メディカル株式会社は、アメリカのGE社と日本の横河電機株式会社が出資して設立された合弁会社で、GEが開発した1.5テスラMRI、SignaTMが日本にも数台輸入され始めた頃でした。真新しい機械であり、それを用いた臨床研究を行えば比較的学術論文が通りやすい時代だったと思います。日本国内でもMRIを用いた研究論文を投稿されたいメディカルドクターの先生方が多くいらっしゃいましたが、臨床にお忙しい先生方ですので、さすがに研究用のソフトやハードの開発を自分で行う余裕を持ててはおらず、メーカーへの協力依頼が毎年百件を超えるほどきていました。そこで私には先生方が論文が書けるような研究用の新しいソフトウェア、おもに画像を撮像するための「パルスシーケンス」ソフトウェアを開発するよう指示がありました。Signa用のソフトウェアを組めるように、入社してまもなくGE Medical Systems(現GE Healthcare)に出張して習得してくるよう指示がありました。それまで海外旅行に出かけたこともなく、当時は英語がまったく分からなかったのですが、「行けば分かるようになる!」という上司の一言によってボストンのSigna User’s Meetingに送りこまれたときは、正直生きた心地がしませんでした。実際、ホテルのフロントでの会話もほとんど理解できませんでした。しかし、その元上司がおっしゃっていたように今も無事に生き延びてますので、正しいことをおっしゃっていたのだなと、今なら理解できます。

そのような経緯で、通常の製品開発とは異なるMRIの研究開発、技術開発、共同研究を担当していました(同じ開発でも製品開発と研究開発はまったくの別物です)。例えば初期のDiffusion imaging (IVIM:Intra Voxel Incoherent Motion)をフランス(当時はアメリカのNIH)のDr. Denis Le Bihan先生と実験したり、スタンフォード大学でDr. Dwight Nishimura先生にSpiral scanの開発を見せてもらったり、それらをヒントに自分で考案したSpiral-IVIMの開発等に従事できたのは、今では良い思い出です。日本各地の大学病院や海外のいくつかの大学病院とも共同研究を担当することができ、技術サポートがメインではありますが、多くの論文に名を連ねていただきました。なお、GEの同僚のThomas K.F. Foo博士とUltra Fast Scan, それまで数分かかっていた撮像時間を数秒で終わらせる撮像法を開発できたのも良い経験でした。

1990年代の後半、それまで1.5テスラMR装置が高磁場MRと呼ばれていたのですが、イギリスなどいくつかのサイトから3テスラや4テスラの静磁場強度を持つMRI装置が開発されているらしい、との噂が伝わってきました。私が就職した頃にも4テスラのヒト用MRI装置はGEの中央研究所にはあったと記憶していますが、当時は量産化されていませんでした。MR装置のS/N比は磁場の7/4乗に比例するという理論が出ていたので、磁場が2倍近くになるということは、どれだけ綺麗な画像が得られるのだろうと大変興味を持っていました。Oxford社やMagnex社が、超電導マグネットの開発メーカーだったと記憶しています。

その次に聞いたのは、アメリカGE Medical Systems本社(現GE Healthcare社)が、上記のマグネットを使って、ヒト用3Tおよび4T MRI装置を開発しているという話です。臨床用の装置ではないので、当時は薬事未承認品でした。ただ、日本では研究用の装置としてであれば輸入可能とのことらしく、当時の上司や同僚が厚労省(厚生省)や輸出入管理の役所に出向いて、輸入許可を申請していました。無事に2台の輸入が決まり、1台は筑波の産総研(当時は電総研)、もう1台は新潟大学に無事納入されました。マグネットが重すぎて通常の搬入経路が使えず、軍事用の貨物飛行機を使ったと聞いています。インスタレーションが終わり、無事に画像が得られた時の喜びは今も忘れられない思い出です。

2,000年代に入る頃、当時は超高磁場MRと呼ばれていた3T MR装置も安定して撮像できるようになり、当時新潟大学医学部の教授でいらっしゃった中田力(つとむ)先生から、ある相談を持ち掛けられました。超高磁場MR装置は、fMRIに代表される脳機能画像を得るのに適した装置であるが、仰臥位でしか画像が撮れないというのは大きな制約ではないか、寝た姿勢でいろいろ思考することもあるが、人間は起きている状態、つまり座位か立位で思考を巡らせるものではないかとのご指摘がありました。言われてみればその通りだったのですが、それまでMR装置では寝た状態で撮るという常識があったため、マグネットを立てるという発想はありませんでした。ただ、数トン~数十トンもある金属の塊りであるマグネットの下にヒトを入れるということが果たして安全にできるのかどうか、まったく自信が持てませんでした。

そこでGEヘルスケアの機構設計部門と相談し、大きな地震が起きてもマグネットが落ちてこない設計が可能であることを確認、座位もしくは立位で撮像できるMR装置が技術的には開発可能であることが分かりました。量産品ではなく一点ものなので、コストがかなり高くなることについても中田先生にお伝えしましたが、それでも「世界にない新しいMR装置をいっしょに創りましょう」との誘いを受けて、共同プロジェクトがスタートしました。蛇足ですが、この時に固定費や変動費など経理の知識を必死に勉強したのは今でも役立っています。

工業デザイナーとメカ屋さんによるコンセプト図

マグネットのインスタレーション風景

撮像されたT2強調イメージ(グレースケール反転)

小型のマグネットでしたが、インスタ途中で何度もクエンチしてあきらめかけた時もありました。なんとか開発が進み、インスタ完了に最初のボランティアとしてGEヘルスケア・ジャパン株式会社の社長にも現地に来てもらい、無事に画像が撮れた時は何とも言えない達成感を感じました。横のモノを縦にしたというだけなのですが、細かい所を検討していくと、簡単には解決できない課題がいくつも出てきて大変苦労しました。重力の向きが違うだけなのですが、予想しなかった歪みが生じるなど、解決策が容易ではありませんでした。大げさかもしれませんが、宇宙船の開発など、JAXAの開発者の方々と同様の悩みを抱えていたのかもしれません。今は離れ離れになってしまった当時の開発メンバーとは、とても苦労はしましたが、大変良い時間を過ごすことができました。感謝の念に堪えません。

その後の脳機能研究自体についてはほとんど関与しなかったため詳細は存じないのですが、座位で自動車運転中の脳活動の研究や、座位で楽器演奏時の脳活動の研究などに活用されたと伺っています。「座位や立位でfMRIが実現できないか」、突飛な発想だと言えますが、このような発想から科学や技術は進歩していくのだと確信しています。

以上

注:本ページに記載の図面は,ISMRM2000において公表済みのスライドから抜粋したものです.