カリフォルニア大学サンディエゴ校 宮崎美津恵

大学院での研究: In Vitro からIn Vivoへ

MRIとの出会いは大学院時代でIn VitroからIn Vivoへの興味が沸き始めた頃である。米国大学のPhDコースで、NMRを使った化合物の分析研究に携わっていたが、ポスドクでは動物用MRIを使用したMRスペクトロスコピーの研究に励んだ。実験は、研究室の中国人の外科医が動物の準備で宮崎はMRI実験と仕事分担した。動物(ネズミやウサギ)にF19の麻酔薬の吸引や薬物を靜注した後、20㎝ボアの動物実験で投与数時間後の代謝物のスペクトロスコピーを観察した。徐々に動物実験の吸引や靜注方法も教わりそれなりに充実した研究生活を送ることができた。3年間の動物実験を経験し、人体用MRIの研究開発に取り組みたいと考えていた頃、海外メーカーを含め3社と面接。その当時、P31スペクトロスコピーが製品に搭載されていた東芝に入社。人づてに聞いた話ではあるが、女性の米国PhD持ちの入社前例がないということで、当時の入社は容易ではなかったそうである。Diversityなどの概念がなかった頃、当時の技師長が様々な分野の人が社内にいることが大事と後押ししてくださり、無事に入社することができた。入社の際、東芝総合研究所、医技研、開発部の3つの部署の選択があり、画像診断には患者さんに一番近い病院と関われる開発部への配属を希望した。男性社員ばかりの開発部もどの様に対応してよいのか分からなかったそうですが、MRスペクトロスコピーしか知らなかった私を温かく迎え入れ、技術開発を勉強できる機会を得て、研究に勤しむことができたのは感謝である。

東芝/キヤノン(I)MRSからMRI技術の開発

大学院でMRI装置を“使う側”から“開発する”の会社に入り、毎日が勉強で楽しかった。会社に慣れた頃、病院への出張が多くなった。出張先の一つは順天堂大学で、放射線科の(故)住江先生とP31スペクトロスコピーの実験に携わった。その後、会社に入社してから初めての国際学会だったと記憶している1992年のSMRM(ISMRM)学会にて、シーケンスを変更した脳腫瘍のP31スペクトロスコピーを発表した。

NMRではSaturation Transfer Contrast(STC)と呼ばれていたものであるが、WolffとBalabanによってImagingのコントラストを変える新しいアプリケーションMagnetization Transfer Contrast(MTC)として脚光を浴び盛んになっていた1990年頃、社内の先輩らと更なる応用技術を検討していた。頭部アンギオのTOF 方へのMTC の応用は、スライス選択的MTC パルスを頭頂部に印加し実質部の信号を抑え流入する血液のMTC 効果を低減することでTOF 画像の向上を得ることができた。Slice-selective off-resonance sinc pulse (SORS)法として1993 年のISMRM で発表し、1994 年のMagn Reason Med(MRM)に掲載された。もちろん、論文発表前に特許化し、後に製品にも搭載され現在も使われている。その際、同じ技術がISMRM 学会で他社メーカーの技術者から発表されていた。数か月あるいは数日の違いの特許申請であったかもしれない。同じような技術を考えている人は世界に複数いるものである。特許性のあるものは、いち早く権利化することが企業で求められる。発案または仮説から技術証明する実験、実験結果のまとめ、特許権利化までがタイムリーに実行することが重要であった。このSORS パルスの経験は、仮説の証明する実験の企画でチームで仕事分担し、技術証明に何を実験するかをチームで議論、短時間で実験できたことが論文発表と特許権利化に繋がったと考える。その他、MTC パルスを使ったChemical Exchange Saturation Transfer (CEST)や独自のZ-Spectrum Analysis Proton(ZAP)の研究開発に努めた。ポスドク時代のスペクトロスコピーの経験は、MTC や脂肪抑制法など周波数に関係する分野からはじまった。現在では高磁場(3T 以上)で当たり前に使われていると思うが、胸腹部のようにZ 方向に磁場不均一がある部位では、中心周波数(F0)が胸部の空気から腹部の臓器信号や脂肪信号の不均一でズレが生じる。それを考慮に入れず、CHESS 法などのChemical selective Fat suppression パルスを印加すると脂肪抑制するべきあるスライスが水抑制になる可能性がある。そのF0 のズレをシミングで計算してCHESS パルスを周波数のズレ分をシフトして印加するとすべてのスライスで均一に脂肪抑制が可能となる。本方法は1994 年のISMRM で発表したが、MRM 雑誌投稿は、査読で却下され断念したままになった。このMRM で却下された内容は、別の研究所が論文化したため学術的にはそのグループが先行者として認められた。特許は我々が出願していたが、学術的には論文報告をしたグループが第一報告者として認められる。この苦い経験は重要と考える新技術であればあるほど、投稿した論文雑誌が却下されても、査読者の重要なコメントや助言をを反映して次の雑誌に投稿して結果を残す努力をし続ける原動力となっている。その他、ユニークな脂肪抑制シーケンス(CHESS とDixon の組み合わせ、Double Fat suppression (Enhanced fatsat), 水選択励起シーケンス(PASTA 法、WET 法)などの開発にかかわった。

東芝/キヤノン (II)非造影MRA との出会い

本来開発部での仕事は開発と製品化であるが、臨床ニーズに対応した新技術の研究開発に努めた。1995 年ごろ、MRI の特性を生かして造影剤なしに血管を描出できたらという要望を九州の複数サイトの先生方から聞き、九州の熊本セントラル病院、済生会熊本病院、共立戸畑病院へと出張先が広がった。当時はDr. Matin Princeの造影MRAの報告があり造影MRAの全盛期へとなったわけであるが、そのような非造影で体幹部や下肢の血管描出の要望が日本の先生方からあがった。当時の非造影技術は、頭部のTOF法とPC法のみで、体幹部や下肢での非造影法はなく、直ぐに開発できると思っていなかった。ただ、大事なネタまたは宿題は脳裏にしまっていた。ある時、熊本セントラル病院の立石技師長からMRCPを横エンコード(R-L)と縦エンコード(Superior-Inferior;S-I)でMRCPの総胆管と膵管の描出が異なることを聞いた。MRCPの総胆管・膵管の体液ような長いT2成分でも、PE方向をR-Lにすることで膵管がより描出でき、S-Iにすることで、体軸方向に走行する総胆管がより描出できるということであった。早速、会社に戻りMRCPのFluidのT2と血管のT2値を使ってPE方向のブラーを計算した。総胆管‘膵液は1ピクセルが1.2ピクセルに広がり、血液は2.2‐4.1ピクセルにブラーすることが分かり、R₋L方向で肺動脈が描出され、S-Iで大動脈が描出できることをJMRI 1998 に論文発表した。非造影Fresh Blood Imaging(FBI:造影剤を使わないで体内の血管を描出できる技術)としてJMRI2000に論文発表した。下肢の動静脈分離では、共立戸畑病院の山本技師長よりPE方向をS-I方向からR―L方向に変更することで動静脈分離が容易になり、遅い流速に応じてFlow を抑制するリード方向へのスポイラーパルスを印加した。本手法は下肢動静脈分離、Flow-spoiled FBIとしてRadiology 2003 年に論文発表した。FBIの開発では熊本セントラル病院の安倍院長、実藤先生、立石技師長らに研究に対する熱意を学び、温かいサポートを頂いた。さらに下肢の動静脈分離では、非造影MRA技術の可能性を信じてご協力いただいた戸畑共立病院の中村先生、山本技師長、済生会熊本病院の浦田先生(現熊本中央病院)、和田技師長、沖川技師、桑原技師、らに感謝するとともに、東芝/キヤノンの杉浦さん、葛西さん、金澤さん、市之瀬さん、高井さん、町田さん(現東北大学)にお礼を言いたい。この3つの九州のサイト(熊本セントラル、済生会熊本、戸畑共立病院)では、医師らからの臨床ニーズ、優秀な技師、東芝のアプリ、技術部のサポートでサイトの通常の臨床検査後に深夜遅くまで実験を一緒にしてくださったことは、今でも楽しい思い出となっている。本研究開発は、医師からの臨床ニーズの把握、関係技術者間での技術交流、操作してくださる技師、医師₋技師₋技術者のコミュニケーションをとって円滑に研究が進むように取り持ってくれたアプリケーションの方々、それぞれの専門分野の方々が一丸となって協力したことで得られた結果であり、まさに、Diversityある研究であった。これにより、非造影MRAの臨床応用が画期的に広がったと思う。

非造影MRAの開発では、副産物もある。評価してもらうために他のサイトでの実験を実施した。患者さんで撮れなかった経験もある。そのサイトから教わったことは、患者さんで一度でも撮れない場合は普及できないという現実に直面した。非造影FBIでは、適切な心時相(拡張期・収縮期のトリガ)が重要で、当初は “ECG-prep“というシングルスライスマルチフェイズであらかじめ拡張期と収縮期の時相を測定する必要がある。一緒に開発してくださった3つのサイトの技師らはECG-prep画像を収縮期のBlack Blood画像を全時相画像から差分することで適切な拡張期の時相を算出しFBI撮像にインプットすることに慣れていたが、はじめて使う技師へのトレーニングが必要であることも分かった。続けて、FBI-Naviというソフトで実際に血液の信号値と心時相(ms)の図で目視で適切な心時相の遅延時間を3D FBI撮像にインプットするというインターフェイスも開発部で製品化した。さらに、煩雑な作業を一掃したDelayTracker(心拍数から自動に拡張期と収縮期の遅延時間を算出する方法)を開発した。Preparationスキャンなしに位置決め後FBIスキャンができる「誰でも撮れるFBI」として搭載した。

アカデミック:

UCSDでは、放射線科医だけでなく、神経外科、整形外科、血管外科、循環器内科、分泌学の先生方と様々な意見交換をし幅広い研究が可能な環境にいる。宮崎ラボでは、臨床現場の放射線科医の要望を聞いて、臨床に使えるシーケンス構築に取り組んでいる。Lymphedema(下肢/四肢)、非造影MRA(頭頸部、胸部、腹部、下肢、四肢)、Thoracic duct(リンパ管)などがその例である。いろいろな先生からの要望を受け入れることで、臨床ニーズを聞き、次の研究アイテムの糧にしている。米国大学では、PhDとして研究を進めるには、NIHなどから研究費獲得が必須である。NIHグラントは年々採択率が下がっていて獲得が困難となっている。宮崎も非造影下肢技術を駆使して2020年に最初のR01研究費を取得した。3年かかって得たグラントで、下肢非造影MRAの撮像時間短縮、糖尿病末梢血管の非造影Perfusion、ステント治療後の非造影MRA技術でのフローなどが含まれている。二十数年間企業に勤務し、グラント応募などはじめての技術者が、どうやって短期間でNIH R01研究費を受賞できたのかについても記したい。先ずは、1)UCSDのNIHグラント書きのコース (論文とは異なったグラント申請書の書き方の訓練)をDr. Richard Buxtonから受講、2)臨床ニーズを把握するために放射線科医だけでなく、血管外科医や循環器内科医からの現状問題とニーズの把握 (研究内容の充実)、3)チーム内外に申請書の査読を依頼し申請書のブラッシュアップを実施。4)何度却下されても出し続ける持久力などがNIHのスタディーグループの査読にパスできたのではと考える。グラント申請でも、却下が続いても出し続けることが重要であるとともに、多様な分野の人との意見交換とサポートしサポートされるチーム作りが重要である。二つ目のNIHグラントは、Glymphatic clearanceでCSFの排出経路と排出測定で、2022年にNIHのAging研究所のアルツハイマー病研究でRF1を取得できた。非造影技術の応用はさまざまな分野に応用できる。造影剤投与なしでのCSF排出経路は今だ解明されていない。今後も非造影の応用分野として新技術の研究開発に取り組んで行きたいと考える。

この稿を目にする若いMRI研究者へ贈る言葉:

• 仕事や論文がうまくいかない場合には:これは今も続いていることではあるが、査読でどんな理由で却下されても良い助言は受け入れて、自分の技術を信じて次の雑誌に投稿する。雑草のように踏まれても踏まれても次に進むたくましさが必要である。論文が却下されると誰でも悔しい思いはある。論文だけでなく、仕事に躓いた場合でも嫌なことは早く忘れリフレッシュするとまた、道は開けると思う。踏まれる度に(T1反転パルスを受ける)とできるだけ素早くT1回復でき、+Mzに戻りまた次への準備ができるように努力するのが重要であると考える。長く落ち込まずリフレッシュして平常に戻れるとまた新たな道、アイデア、機会がある。

• MRIは、物理、化学、生理学、医学、機械工学、電子工学など複数分野から成り立っている。すべて一人でできる訳ではない。自分の居場所を知り足りない部分を補いあえるチームが必須である。Diversityの観点からもMD、RT、PhDと一緒に仕事できる環境づくりが重要である。

• 現時点でできない研究でも、数年後周りの技術発展でやり易くなる環境ができる可能性がある。大事なのは、その波を察知し波に乗れるように準備しておくと良いと考える。