松井茂さんは,1981年9月(?)に京都大学理学系研究科博士課程を修了され,その後,日立製作所中央研究所に入所されたと聞いております.松井さんは,当時の京都大学理学部化学教室の寺尾武彦先生の一番弟子で,在学中には,Physical Review Bに,”Indirectly induced NMR spin echoes in solids”などの論文(1980年5月)を出版されるなど,NMR研究者としての第一級の教育を受けられ,日立製作所に入社されました.また,聞くところによると,松井さんが,大学院に入学して寺尾研に入り,朝,寺尾先生よりも早く研究室に行ったところ,寺尾先生は,それよりも早く研究室に来られるようになったとの事でした.なお,京都大学化学教室にあった寺尾研は,元々は,雑賀亜幌先生(Saika and Slichterの論文で有名)の研究室で,現在は,松井先生の後輩の竹腰先生が,後を継いでおられます.

 日立中研では,研究用MRIシステムの立ち上げとそのシステムを用いた研究のみならず,日立メディコとの共同研究に尽力されたと聞いております.というのは,日立製作所内には,分析用NMRを開発してきた部署が別にあり(日立那珂工場),そこが,中研とは独自にMRIの開発を行っていたそうです.日立製作所は,2008年に,MRIの出荷累計5000台を突破しましたが,これに大きく貢献されたことは間違いありません.

 

 さて,私が,松井さんの存在を知り,学会などで初めて直接質問したのは,1984年3月の富山大学で開催された日本物理学会の分科会(磁気共鳴)の時だったと思います.その時,松井さんは,下に示すように,今ではEPSI(Echo-planar chemical shift imaging)と呼ばれる,エコープラナー法をケミカルシフトの存在する系へと応用した研究を発表されていました.私は,たまたま,物性研の図書館で,Journal of Physics D: Applied Physicsの最新号(実際は,1983年の11月号)を見ていて,”Spatial mapping of the chemical shift in NMR”という記事があるのに気づいていたので,その発表のときに,「この研究に関しては,既にMansfieldがJournal of Physics Dに発表しているが」という意地悪な(?)質問をしましたが,松井さんは,全く心当たりがなく,困惑されていたようでした.それは,この雑誌は,MRIの関係者が,常にチェックすべき雑誌ではなかったからです.また,当時は,東芝(私)と日立という,超ライバル企業だったこともあり,同業他社の担当者に,厳しい質問をするのは,当たり前のような時代でした.ただし,この質問は,嫌がらせではなく,松井さんも,その後の解説などでは,Mansfieldの論文を引用しながら,ご自分の研究のそれに対する優位性などを述べられています.

 それ以降に,松井さんと,直接お話をする機会は,1987年春の岡崎で行われた日本磁気共鳴医学会の時です.このとき,学会の会場から離れた街中で偶然会い,立ち話で,近況などをしばらく話していましたが,その時に,会社から,UC BerkelyのAlex Pinesのところに1年ばかり留学することになった,と聞きました.それからさらに1年くらい経って,私が,大学の関係の用件で,米国に出張することになり,UC Berkelyにも立ち寄り,研究室を案内してもらいました.この縁もあり,松井さんには,筑波大学に来ていただくことになり,筑波大では,独立した研究者として,固体のイメージングの研究を主にやっていただきました.また,同時に,同僚として,親しく交流させていただきました.

 松井さんは,残念ながら,2010年過ぎに亡くなられましたが,日本のMRIの歴史を語る上では,欠くべからざる方だと思います.

文責:巨瀬勝美