日本におけるNMRによる生体計測法に関する研究の経緯
(第53回日本生体医工学会北海道支部大会(H26.10.11)特別講演より)
元 旭川医科大学実験実習機器センター
北海道医学技術専門学校 田中邦雄
- はじめに
スライド1.タイトル
MRIは画像診断法の一つとして臨床医学領域で必須のものとなっております。その基本原理はNMRと呼ばれるが、NMRの医学的応用としては血流計測程度しか考えられなかった1969年(昭和44年)日立中央研究所から北海道大学応用電気研究所(現電子科学研究所)に教授として赴任された阿部善右衛門先生の指導の下で行なった研究の一端を紹介させて頂きます。
研究を開始した1969年(昭和44年)当時はまだX-CTの出現前(1972年)であり、また医学の分野ではNMRは殆ど無縁の、主として理化学分野での分析手法でした。私が大学院修士課程、博士課程を通じて行ったNMRによる無侵襲生体計測に関する研究の経緯として、体外から体内の特定部位の情報を検出する方法として提案した、我が国独自の磁場焦点法を中心に、技術面および応用面としてどの様なことを考えていたか、またその実現に向けて行なった基礎的研究結果のいくつかを紹介したい。
スライド2.講演内容
まず、NMRによる生体計測に関する研究の歴史的経緯、特にNMRからMRIへの発展について、次いで我々の磁場焦点法の提案と、その実現に向けて行なった基礎的検討結果、最後に磁場焦点法の応用面についての基礎的検討を紹介する。
- NMRによる生体計測の研究の歴史的経緯
スライド3.NMR、MRIの歴史的経緯(生体計測関連のみ)
MRIの基本原理であるNMRはスタンフォード大学のBlochらとハーバード大学のPurcellらの2つのグループによって、1945年それぞれ液体と固体を対象にその理論体系が確立された。その後、生体計測への応用としては血流計測への試みが最初に行なわれた。その後、1971年DamadianがScience誌に緩和時間の違いによる癌検出の可能性を発表し、医学の分野でNMRが注目される契機となった。また、1973年にはLauterburによりNature誌に今日のMRIの基礎であるNMR Zeugmatographyが提案され、大きな関心を集めた。その後、米国や英国を中心にNMRイメージング法の提案や改良が行なわれ、1985年以降臨床用NMRイメージング装置が市販され、今日までほぼ30年が経過している。このような歴史的な流れの中で、NMRの医学的応用としては血流計測程度しか考えられていなかった1969年に我々の研究が開始され、1972年に体外からの計測法として磁場焦点法を提案した。1973年に米国コロラド州のアスペンで開催されたシンポジュウム“Biologic and Clinical Effects of Low Frequency Magnetic and Electric Fieldsに阿部先生が招待され、初期の研究成果を報告し、その時のProceedingをLauterburに送ったところ、次のような手紙が阿部先生宛に届きました。
スライド4,5,6
1976年8月17日付ですが、ノッチンガムとストニ ブルックでのNMRイメージングに関するワークショップが開催されたことを知りました。参加者名簿によるとNottingham大学のHinshaw、Aberdeen大学のHutchison,阿部先生を招待したWisconsin大学のSances、血流計測への提案をしたSingerなど研究初期の名前がみられる他、Siemens、GEの人も参加したことがわかります。
スライド7. T1測定結果
Damadianによるラットからの摘出正常組織と実験腫瘍(肝癌と肉腫)のT1測定結果を示す。悪性腫瘍組織のT1は正常組織に比べて2~3倍長い値を示している。
スライド8. 未来図
NMRによる癌検診の未来図として、Scienceへの発表の翌年(1972年)にDamadianがPopular Scienceに発表したもので、超伝導磁石に人体を挿入し、緩和時間を測定する様子を示している。我々の研究も含めて、人体が入る大型のNMR用磁石、まして超伝導磁石の実現など夢物語といわれたものの、このほぼ十数年後にはMRIとして現実のものとなった。
スライド9. Damadianの特許
1972年3月に特許出願し、1974年2月に成立したDamadianの特許証の表紙である。タイトルは「癌検出の装置と方法」となっている。
スライド10. NMR Zeugmatography
LauterburによるNMR Zeugmatographyは線形勾配磁場を多方向に印加して共鳴信号を得、X-CTと同様に2次元平面に逆投影する方法で、今日のMRIの基礎となった。
スライド11. マウス胸部イメージ
1974年にLauterburによって発表された、マウス胸部イメージ例である。
スライド12. ヒトのNMRイメージ
1978年ノッチンガム大学のMansfieldらによるヒトで初めて得られた腹部イメージで、磁場強度700Gの下で75×90点の測定に40分を要した。
スライド13. Prof. Mansfield
1988年ベルリンでのヨーロッパNMR医学会のとき、Nottingahm 大学を訪問したときの写真である。
スライド14. アバデイーン大学
1980年アバデイーン大学のグループは400Gの縦型磁石で、今日の2次元フーリエ変換法の1つであるspin warp法を開発し、全身の撮像を行なった。横型の磁石では検出コイルが鞍型となるのに対して縦型ではソレノイドコイルが使用でき、より高感度での測定が可能である。
スライド15.スピン密度、T1画像
左はスピン密度像、右は同一部位のT1画像で、このグループはT1画像が解剖学的構造を反映すること、またMRIの臨床的有用性を他に先駆けて明確にした。
スライド16. アバデイーン大学のグループ
Prof. Mallardの下、Dr. Hutchison, Dr. Fosterを中心としたグループ。私が1986年から1987年に在外研究員として滞在し、帰国前のセミナー後の送別会の写真である。滞在中にAberdeen大学, Nottingham大学 そしてHammersmith病院の3つのグループのそれぞれに英国政府から3か年間億単位の研究費が与えられたことを知りました。
スライド17. ノーベル賞
研究開始当時の我々の構想に対して多くの人がそんなことができたらノーベル賞ものだと批判されました。しかし、LauterburとMansfieldはノーベル生理学・医学賞を受賞し、見事に現実のものになったわけです。
- 磁場焦点法NMRの提案
スライド18. NMRによる生体計測―第6報
このスライドは、NMRによる生体計測―体外よりの生体計測の諸問題―と題して我々の基本的な考え方をまとめて、当時の電子通信学会医用電子・生体工学研究会で発表した資料です。実質的な磁場焦点法の提案は、このときに行なわれたといえる。当時我々がNMRによる生体計測について、どのような構想を持っていたか紹介したい。
スライド19. 概観
見ずらいスライドですが、この当時は表紙以外は全て手書きの時代でした。このスライドはNMRによる生体計測に関する研究を進める上での検討課題の全貌をまとめたものである。まず、NMRで何がわかるか、またその特徴は何かということで、周波数すなわち化学シフトや緩和時間による物質の同定、振幅による物質の定量化、また分子や原子の運動状態の情報が得られること、また、計測対象として何があるかということで、各種水分の測定、常磁性体によるT1短縮や強磁性体であるフェライト微粉末の利用の可能性などが挙げられている。なお、これらを実現する上で最も重要な体外よりの生体計測の問題として、特定部位の信号識別法の必要性や体内スキャニング法の開拓、さらにS/N向上策などが検討課題として挙げられている。
スライド20. 体外よりの生体計測の諸問題
このスライドは、NMRによる体外からの生体計測を実現するための問題点をまとめたものである。まず、体外よりの生体スキャニング法の開拓が挙げられている。すなわち、体外から体内特定部位の情報をいかにして検出するか、そのためには新しい測定法が必要であることが挙げられている。次に、S/N向上法として、磁場強度の上限はどの程度か、また注射針やカテーテル型検出器による特定部位への接近の必要性も挙げられている。その他、静止しているものと運動しているものとの識別法や、多数コイルの固定化など、体外計測を行なう上での検討課題が挙げられている。現在のMRIでは多数コイルによるマルチチャンネル化が実用されている。
スライド21. 体内スキャニング
このスライドは、体内スキャニング法すなわち磁場焦点法の基本的構想をまとめたものである。体内の特定部位の情報を外部に取り出すために、特定部位に他部位と異なったNMR的特徴を与える必要があり、その1つは他部位とは異なった静磁場を与えて、共鳴周波数の違いを利用すること、またこの重畳磁場をスキャニングして全身の情報を得るということで、当初は磁場焦点法ではなく磁場スキャニング法と呼んでいた。さらに、常磁性体によって特定部位の緩和時間を短縮したり、磁気的特徴づけを行なって特定部位の識別能を高めるなどの基本構想を提案した。磁場スキャニングの方法としては、磁場発生コイルや生体の機械的な移動に加えて、電流変化や強磁性体による重畳磁場のスキャニングなどを提案した。また、被測定部位への磁気的Tag法も提案した。これらは現在、流れの可視化などスピンラベル法やMR造影剤として実現されている。
以上、NMRが医学分野で注目される以前にNMRを無侵襲生体計測法へ発展させるために、技術面から検討すべき課題、またその当時我々が抱いていた基本構想の概略を紹介した。なお、これらの構想と若干の実験結果などを総合して1973年(昭和48年)に日本、米国などに特許出願をした。
スライド22. 日本国出願
「核磁気共鳴現象を応用した被測定物内部情報の外部よりの測定法」というタイトルで出願した公開特許公報の表紙である。審査官と長期間に亘ってやり取りをしたが、残念ながら日本では成立には至らなかった。
スライド23. 米国特許
これは米国特許証の表紙である。この出願で、先に紹介したDamadianも特許出願していたことがわかった。米国審査官との何度かのやり取りの後、我々の方法とDamadianの方法との違いが認められ、1976年1月に特許成立に至った。
スライド24.
阿部先生を中心としたNMR研究グループである。後列左から山田芳文先生(宇都宮大学名誉教授)、田中、大学院生(堀田正生博士)、前列左が阿部善右衛門先生、右が山本悦治博士(元日立製作所)。
- 磁場焦点法による無侵襲生体計測の基礎的検討
スライド25. 磁場焦点法
このスライドは磁場焦点法の原理を示す。MRIでは線形勾配磁場を用いるのに対して、磁場焦点法では特定部位の静磁場強度をΔBsだけ異ならせて、周辺に対して非線形に磁場強度を変化させ、共鳴周波数の違いから特定部位の情報を得る、いわゆる点における情報の計測法である。
スライド26. 検討課題
このスライドは磁場焦点法を実現するために検討すべき主な課題をまとめたものである。第1は焦点用磁場をどの様にして発生させるか、第2は体外計測時の測定感度、言い換えれば分解能はどの程度得られるか、第3は医学的応用分野としてどの様なものが考えられるか。以下に、これらに関する基礎的検討結果を紹介する。
スライド27. 円線輪対による焦点用磁場
焦点用磁場の発生法としていくつか提案したが、最も単純な方法はこのスライドに示す円線輪対による方法である。このコイル対による磁場を主静磁場B0に重畳したときの合成磁場は(1)式で表わされる。コイル対による焦点磁場ΔBsは(2)式で表わされる。
スライド28. 星状焦点磁場
円線輪対による焦点磁場の、コイル対中心から周辺に対する磁場傾斜と中心における強度に対する等磁場強度領域の計算結果を示す。中心から周辺に対する磁場傾斜は2次関数的に変化し、コイル駆動電流を大きくすると傾斜も大きくなる。また、等磁場強度領域の形状から、これを星状焦点磁場と呼んでいる。コイル周辺に延びる領域が誤差信号を生ずる領域となる。
スライド29. 信号強度の空間分布
このスライドは星状焦点磁場の下で、微小試料を検出コイル内で移動させて信号強度の空間分布を実測した結果を示す。焦点領域中心における信号強度に対して50%以上となる領域を示している。周辺に対して誤差領域が延びているが、検出コイルから試料がY方向に離れるに従って、その領域は減少することがわかる。直径33mmの検出コイル内でX,Z=±4mm、Y=±3mmの領域にほぼ信号検出領域を制限できることがわかる。
スライド30. 空間応答
次に、焦点磁場を重畳したときとしないときの空間応答の実測結果を示す。焦点磁場を重畳することによって、明らかに信号検出領域を制限できることがわかる。X,Y,Z方向とも信号強度が1/2になる領域はほぼ±3~4mmであり、前の結果とほぼ一致することがわかる。
スライド31. 焦点磁場の走査
これは焦点磁場の電気的スキャニング法の原理を示す。X,Y,Z方向に線形勾配磁場を重畳することによって(7)式に示すように焦点領域をスキャニングできることがわかる。なお、このとき共鳴磁場からのずれΔBofが生ずるので、焦点用磁場コイルと逆向きに電流を与えるコイル対によって磁場オフセット分をキャンセルする必要がある。
スライド32. 検出コイル配置
次に、体外計測時には信号検出コイルと被測定部位(MT)とは疎結合とならざるを得ず、測定感度がどの程度得られるかが問題となる。このスライドは、体外計測時の代表的な検出コイルの配置を示す。身体を検出コイルに挿入する場合(A)、体表上にコイルを置く場合(B:サーフェイスコイル)、体表上斜め方向から検出する場合(C)の3つが想定される。
スライド33. 信号減衰程度
これら3つの検出コイル配置について、出力信号強度の減衰程度を計算した結果を示す。ただし、被測定部位と検出コイルの距離をX,共鳴周波数
60MHz(B0=1,4092G)の下で、検出コイルのインダクタンスが1μHとなるようにその巻き数を決めた。体内深部の臓器を対象にX=7cm前後としたとき、信号強度は1/200~1/300に低下する。また、共鳴周波数が数MHzから数十MHzとなると組織による減衰も問題となる。60MHzでの実験から20~30%程度減衰する結果を得た。
そこで、これらの信号減衰程度と、この当時の市販60MHz高分解能NMR装置のS/N性能を基準にして、測定下限界水分量を推定した。
スライド34. 測定下限界水分量
主な臓器を対象に、距離による信号減衰程度、組織による減衰、市販装置のS/Nをもとに、S/N=1とした時体外から識別し得る測定下限界水分量として分解能を定義して推定した。この結果、体外計測時の推定分解能は0.3mlとなった。これは大きさにすると7mm角程度であり、当時としては超音波診断装置並みの分解能で体内深部の体外からの計測の可能性を示す結果であった。
スライド35. 応用面
磁場焦点法NMRによる無侵襲生体計測法の応用面をまとめたスライドである。磁場焦点法は本質的には点の測定法であり、局所領域での種々の原子核を対象としたスペクトル計測や緩和時間計測が主な応用面として挙げられる。また、イメージング法としては測定時間などの点で線形勾配磁場を用いたMRIには残念ながらはるかに及ばない。いずれにしても、この表にまとめたいくつかは現在のMRI・MRSで実現されている。
スライド36.審査の要旨
以上、これまで紹介してきた内容を中心にまとめたのが私の学位論文である。
スライド37. スピンエコー装置
これまでの基礎実験に用いたNMR装置で、B0=1.4T、f0=60MHz、北大から旭川医大に管理移管して、引き続き緩和時間やスペクトル計測、イメージングなどの基礎研究を続けた。
スライド38. 走査型円線輪対
この装置に走査型星状焦点磁場発生用コイル対を組み合わせて以下の実験を行った。1番内側のコイル対が焦点磁場発生用、次に走査用の線形勾配磁場発生用、外側に共鳴磁場からのずれを補償するコイル対で構成されている。
スライド39. 走査型コイル対
自作のコイル対を示す。
スライド40. 腫瘍移植マウスによるT1測定
応用面の1つとして、大腿皮下に自然発生乳がんを移植したマウスを直径33mmの検出コイルに挿入して、腫瘍部とその近傍のT1を測定した。
スライド41.T1測定結果
移植後、腫瘍部のT1は次第に長くなるのに対して、その近傍はほぼ腫瘍を移植しないコントロールマウスの大腿部のT1と同じであったが、移植後6~8日目では若干長くなる傾向を示した。これは腫瘍が大きくなったことによる影響と考えられる。
次に、腫瘍移植後の腫瘍径が10mm以上で、T1がほぼ一定になったところでコバルト60照射後のT1の経時変化を検討した。線量は60、45、30Gyの3段階とした。
スライド42. 照射後のT1経時変化
照射後の腫瘍部のT1は3群とも次第に短縮すること、また照射線量によりT1の短縮程度も異なることがわかる。
スライド43.T1の再延長
照射後のT1短縮に続き、その後再びT1が長くなることがわかる。
スライド44. 腫瘍体積の増加
照射後の腫瘍体積の変化を示す。初めに腫瘍体積が減少するが、その後体積が増加する。この腫瘍体積の変化はT1の変化と対応しており、照射による腫瘍縮小とその後の再増殖を反映していると考えられる。
スライド45. イメージングの基礎的検討
星状焦点磁場のスキャニングによるイメージングの例を示す。水を満たしたH形ファントムのイメージ例である。Z軸方向には焦点領域を電気的にスキャンし、Y方向には機械的に試料を移動して撮像した。
スライド46. シシトウのイメージ
これは同様にシシトウをイメージングした例である。撮像時間はかかるものの、磁場焦点法でもイメージングが可能であることがわかる。
- おわりに
NMRを無侵襲生体計測法へ応用するための基本技術である磁場焦点法を中心に、我々がどのような構想を抱いていたか、またその実現に向けて行なった基礎的研究のいくつかを紹介した。
研究開始当時のNMR技術のレベルからすると大方の研究者は、人体を挿入できるNMR用の大型磁石は勿論、その大掛かりな計測システムの実現は不可能であろうと極めて否定的でした。しかし、その後のパルスフーリエ変換NMR法の進歩、コンピュータ技術の進歩、超伝導磁石の導入などによりNMR装置の性能は勿論、周辺技術は格段に向上し、その結果MRIも現在まで著しい発展を遂げてきた。磁場焦点法は現在のMRI技術の発展に直接的な役割を果たすことはできなかったが、当初我々が予想した多くのことが実現されるに至っている。この研究から、現時点の技術レベルでは実現できなくても、5年後、10年後にはそれを解決してくれる新しい技術が出現するものだということを痛感しました。
MRI研究のごく初期に、我が国、北海道でこのような研究が行なわれていたことを頭の片隅にでも留めて頂ければ幸いである。